セミリタイアは本人が選ぶ生き方ですが、家族の目にはどう映っているのでしょうか。
特に子どもは、親がどんな態度で働き、どんな姿勢で生きているのかを、よく見ています。
そこに価値観や答えがあるかどうかは別として、確かに何かを受け取っている気がします。
私自身、セミリタイアを目指していることは子どもたちに隠していません。
ただ、それを教育のつもりで見せているわけでもありません。
あくまで私が選ぼうとしている生き方があって、それを淡々と横で見られている、という距離感です。
では、そんな環境で育つ子どもはどう成長するのでしょうか。
今回は、いまの私が家庭の中で意図していることや、日々の雰囲気を踏まえながら、そのあたりを少しだけ考えてみたいと思います。
子どもは“仕事の景色”を親から受け取る
子どもにとって、親は「働く大人」の最初のサンプルになります。
どんな仕事なのかよりも、どんな雰囲気で働いているのか、どんな顔で家に帰ってくるのか、そういった部分のほうがよほど強く伝わるように思います。
私自身、仕事の苦労や愚痴を家庭に持ち込まないようにしています。
仕事が大変な日があっても、子どもたちの前ではあまり語りません。
それは強がりでも教育でもなく、単純に家の空気を仕事で濁したくないからです。
結果的に、子どもたちにとって「働く大人」というのは、必要以上に疲れている存在には見えていないと思います。
セミリタイアという考え方は、働き方には複数の出口や選択肢があることを示す役割も少しだけ担っている気がしています。
「辞められる」という選択肢があるだけで、生き方の幅はずいぶん変わってくるものです。
子どもたちはまだそこまで理解はできないと思いますが、なんとなくでもそういった“景色”は伝わっているように感じています。
働く意味より“生きる態度”を先に見せる
子どもと過ごす時間は、働き方の話よりも、生き方の空気を伝える場になっている気がします。
私は子どもと遊ぶ機会が多く、時には子どもより真剣になってしまうこともあります。
そのため、いわゆる「父の威厳」のようなものはあまり感じられていないかもしれません。
ただ、そうした関わり方には悪い面ばかりではないと思っています。
役割としての“父親”よりも、大人としての“態度”のほうが子どもに残ることもあるからです。
余白を持ちながら楽しむ姿勢や、機嫌の良さ、切り替えの早さなどは、意識して見せているわけではありませんが、ふとした場面で伝わっているように感じます。
働き方を説明することはまだ難しくても、生き方の雰囲気は案外伝わります。
それは、「どう稼ぐか」よりも前に「どう生きるか」が存在しているからなのかもしれません。
意図的に伝えている価値観もある
子どもに対しては、特に教育方針のようなものを掲げているわけではありません。
それでも、「これは伝えておきたい」と思う価値観については、日常の会話の中で自然に言語化していることがあります。
私は、仕事を早めに辞めて、遊ぶように生きたいという考え方を子どもたちに隠していません。
それが正しい生き方だと言いたいのではなく、働き方にもいろいろな形があることを見せたいだけです。
選択肢を持つことは不安を減らし、息苦しさを和らげることにもつながります。
また、失敗しても問題ない、何度でもやり直せる、頑張りすぎなくていい、自由に生きていい、という話をます。
自分の気持ちを大切にし、本当にやりたいことには全力で向き合い、大切にしたい人との約束は守る、という姿勢についても、言葉にして伝えています。
おそらく子どもたちからすると、ややうるさい大人に映っている可能性もあります。
ただ、そうした価値観は、ルールではなく“材料”として渡したいと思っています。
押し付けることはできませんし、するつもりもありません。
それでもいつか、自分の生き方を設計する場面が来たとき、どこかの引き出しに残っていれば十分だと思っています。
子どもは親を“写す”とは限らない
子どもの価値観がどう形成されるのかは、正直なところ分かりません。
家庭の影響は確かにあるのだと思いますが、それがそのままコピーされるかというと、必ずしもそうではない気がします。
むしろ、親とは正反対の価値観を選ぶこともありますし、そのどちらも自然なことなのだと思います。
私のセミリタイアという選択も、子どもたちに影響するかもしれませんし、まったく影響しないかもしれません。
親としては、参考にしてもらえたら嬉しいという気持ちもありますが、最終的には子ども自身が自分の人生を選ぶのだろうと思っています。
私自身、親の生き方をそのままなぞってきたわけではありません。
いろいろな人を見て、違う考え方を取り入れて、結果的にセミリタイアという形に行き着きました。
そう考えると、親の生き方はあくまで「サンプルの一つ」に過ぎず、子どもにとっても同じような立ち位置になるのだと思います。
どれだけ語っても、どれだけ見せても、価値観は本人の中で再構築されます。
それでいいですし、むしろそのほうが健全なのではと感じることのほうが多いです。
まとめ
セミリタイアを目指す姿を子どもに見せることが、どんな影響を与えるのかは分かりません。
ただ一つ言えるのは、親の選択は静かに見られており、どこかで価値観の材料になっているということです。
それが模倣につながるか、反発につながるか、あるいはまったく別の方向に進むのかは本人次第です。
私は、仕事で疲れた顔を家庭に持ち込まず、早めに仕事を辞めたいと公言し、自分の気持ちを大切にしながら生きようとしています。
その姿勢が子どもたちにどう映るのかは分かりませんが、少なくとも「働き方は一つではない」という考えだけは伝わるのではないかと思っています。
親の人生は、子どもにとってサンプルの一つに過ぎません。
参考にしてもらってもいいですし、無視されても構いません。
最終的に自分の人生を設計するのは本人であり、その自由さを奪うつもりもありません。
そう考えると、セミリタイアを目指す姿を見せることは、教育というよりも、人生の選択肢を静かに提示する行為に近いように思います。
子どもが将来どんな道を選ぶにせよ、自由に生き生きとしてくれていたら良いなあ、と思います。
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