セミリタイアは孤独な闘い?

記録・雑記

セミリタイアを考えていると、お金や計画といった側面以外に、悩ましいことがないでしょうか?
誰に話すのか、あるいは誰にも話せないのか、といった種類のものです。

私自身、セミリタイアについて真剣に話せる相手はとても限られています。
そのため、セミリタイアには少しだけ「孤独」の要素があるように思っています。

今回は、そのあたりを一度まとめておきたいと思います。

セミリタイアは一枚岩ではない

セミリタイアとひとくくりにしても、目指している形は人によってかなり違うように感じています。
完全リタイアに近い形を理想とする人もいれば、経済的な余裕を土台にして働き方を少し軽くしたい人もいます。

ただ、そうした違いがあっても、ある程度共通している部分もあります。
それは、いまの仕事を続ける前提ではなくなる、ということです。
どの形にせよ「いずれ辞めるかもしれない」方向に目線が向く点は似ているように思います。

職場では真面目に話しづらい理由

当たり前ではあるのですが、セミリタイアについて考え始めると、当然ながら「いまの仕事をどうするか」という話題に触れざるを得ません。
そしてこの点が、セミリタイアを職場で真面目に語りにくくします。

職場は、多くの場合「この組織に所属し続ける」ことを前提に成り立っています。
その前提のうえで目標を設定し、人事制度があり、評価があり、役割の分担があります。
そのため、真顔で「辞める可能性がある前提の話」をすることは、どうしても相性が良くありません。

もちろん、冗談混じりで「いつかリタイアしたいですね」といった会話はできます。
けれど、どのような計画で、どの程度の本気度なのかといった話は、さすがに出来ません。

それでも共有できる相手は存在する

リアルの世界で、セミリタイアについて真剣に話せる相手は、そう多くはないと思います。
私の場合も、社内で本気度のある話をできるのは一人だけです。
そして面白いのは、双方とも会社に対して十分に貢献している側の人間だという点です。

「辞める可能性を見据えていること」と「いま出来る範囲で貢献すること」は、矛盾しているようで矛盾していません。
今、自分にできることは精一杯やり切ります。
それでももし、理不尽な状況に追い込まれたときは、「どうせ辞めるのだから」というお守りを持つことで、割り切って考えられる場面もあります。

また、セミリタイアを考えている人は、言葉の端や雰囲気に独特の“気配”があるように感じています。
おそらく意識していない人には伝わらないのですが、意識している者同士には不思議と伝わってしまう何かがあります。
そうしたきっかけから、気軽にセミリタイアについて話し合える関係になり、会社の状況を客観的に眺めながら会話することも増えました。

アンテナを張ると世界が少し変わる

セミリタイアを意識していると、ふとした瞬間に周囲の人の価値観が気になることがあります。
社内報に載っている短いコメントや、会議での一言、ちょっとした表情など。
そうした何気ない場面に、その人が仕事をどう捉えているかのヒントが滲んでいることがあります。

仕事そのものが好きな人は、やはりその雰囲気が言葉に出ます。
一方で、生活のために働いているが辞めるという選択肢がない人もいて、そういった生き方もまた伝わってきます。
そして稀に、何らかの出口を意識しているのでは、と思わせるコメントに出会うことがあります。

もちろん、これは私の勝手な想像に過ぎません。
けれど、そういう視点で日々を観察していると、同じ日常でも少し違ったものに見えてきます。
セミリタイアは孤独な側面もありますが、こうした観察にはちょっとした面白さもあるのだと思います。

まとめ

セミリタイアを考える過程には、どうしても孤独に向き合う時間が含まれているように思います。
計画そのものは理性的に進められても、気持ちの面では誰にも話せない部分が残りやすく、そこに小さな負荷が積み重なります。

それでも、まれに価値観の近い人と出会えることがあります。
同じ方向を静かに見ている者同士には、不思議と通じる何かがあるのかもしれません。
そうしたつながりが生まれると、孤独の中にも少しだけ安心が生まれます。

結局のところ、セミリタイアは孤独な闘いでありながら、完全に一人で歩むものでもない気がしています。
日常のなかに埋もれている小さなヒントに気づけると、世界の見え方がほんの少し変わることがあり、その変化が意外と心地よかったりします。

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