子育てとセミリタイアのあいだで考えていること

セミリタイア計画

セミリタイアの計画は、できる限り自分の手でコントロールできる範囲で立てています。
将来の相続や、偶然の追い風のような外部要因を前提にせず、自分で積み上げられる部分だけを材料にして組み立てているのは、その方が計画として安心感があるからです。

けれど、どれだけ丁寧に計画を整えても、唯一コントロールできない領域があります。
それが、子育てです。
教育の選択も、必要な時間も、どんな道を歩むかも、子ども自身の成長によって変わっていきます。

今回は、そんな「子育てとセミリタイア」の関係について、いまの視点から整理してみようと思います。

私のセミリタイア計画の前提

冒頭でも書いたとおり、私が立てているセミリタイア計画は、自分の力で動かせる範囲に限定しています。
将来の相続や臨時収入といった、不確実で自分の意思ではどうにもできない要素を前提に置かないのは、計画の軸をぶらさないためでもあり、他人の意思や行動に自分自身が縛られたり、依存したりしたくないという理由もあります。

「確実に積み上げられる部分だけで成立する」という事実は、長い計画を進めていくうえでの安心にもつながっています。
特に私は「自分に選択肢のない結果」に対して大きなストレスを感じるため、自分で動かし、選択し、納得して責任を持てる要素だけで構成された計画のほうが、落ち着いて進めることができるように思います。

子育てだけは計画に組み込みきれない

どれだけ丁寧に計画を整えても、子育てだけは完全には計画に組み込めない領域だと感じています。
教育にかかる費用はある程度見積もれますが、どの進路を選ぶのか、どんな将来像を目指すのか──その多くは子ども自身の選択に委ねられています。

また、必要となる時間の密度も、子どもの性格や成長のスピードによって変わっていきます。
伴走が必要な時期もあれば、距離を保って見守るほうが良い時期もあり、親がコントロールできる部分はどうしても限られてしまいます。

子育てを自分の計画に“固定値として組み込む”ことは不可能で、結局のところ、出たとこ勝負で向き合っていくしかないのだと思います。

子育てはセミリタイア前の山か

子育ては、自分でコントロールできない領域である一方で、セミリタイアに向かう過程ではどうしても越えていかなければならない大きな山のようにも感じます。
子どもが進学し、自立に向かうまでの間は、生活の優先順位が自然とそちらに向きますし、セミリタイアよりも重要度が高くなる時期があるのは当然のことだと思います。

親として避けて通れないプロセスであり、家族としての時間を育てる大切な期間でもあります。

ただ、子育てによってセミリタイアが「遅れる」という感覚は持っていません。
むしろ、子育てに集中する時間があるからこそ、セミリタイアまでの期間が短く感じられるように思います。

子ども基準で変わる計画の柔軟性

セミリタイアの計画は、子どもたちの状況によって形を変える可能性があります。
そのため、私の計画も固定ではなく、子どもの状況に合わせて揺れることを受け入れています。

セミリタイアの時期が多少前後したとしても、それは計画が乱れたということではなく、家族の時間の変化に合わせて調整したに過ぎません。
そうした揺らぎを想定したうえで計画を組んでおけば、目標の達成時期が少し変わったとしても、慌てたり焦ったりする必要はありません。

「想定内であれば計画通り」くらいの精神で、これからも進んでいこうと思います。

まとめ

セミリタイアは、自分の人生を自分の手で設計していくための長い計画ですが、家族という大きな存在がそばにある以上、すべてを思い通りに進められるわけではありません。
それでも、子育てという自分では動かせない領域を受け入れながら、その時々で計画を調整していくことは、決して後ろ向きなものではないように思います。

むしろ、家族の時間に合わせて計画を揺らせる柔軟さがあるからこそ、家族から一定の理解を得られているのかもしれません。

セミリタイアは、家族とともに形を変えながら進んでいく計画です。
これからの変化も含めて、その歩みを丁寧に見つめていきたいと思います。

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