多くの人は、安心のために働いていると思います。
収入があり、生活が成り立つ。
その状態が続く限り、大きな不安を感じることは少ないはずです。
ただ、セミリタイアという生き方を考えていると、不安と安心の関係について少し違った見方になります。
働き続けている限り、不安は表に出てこないだけなのかもしれない。
そして、セミリタイアを考えるという行為そのものが、不安と向き合う過程なのではないか。
そんなことを、考えています。
働き続けている限り、不安は姿を現さない
多くの場合、働いている限り生活は成り立ちます。
毎月の収入があり、その収入の範囲で生活をしていれば、大きな問題が表に出ることはあまりありません。
仮に資産形成が十分でなくても、仕事を続けている限り、日々の生活が急に成り立たなくなることはほとんどありません。
その意味では、働くという行為そのものが、生活の安定を支えているとも言えます。
ただ、その状態は「不安がない」というより、「不安が姿を現していない」だけのようにも感じます。
収入が続く限りは、将来のことを深く考えなくても生活は回っていきます。
しかし、定年が近づいたり、働き方が変わったりすると、状況は少しずつ変わってきます。
収入がいつまで続くのか。
老後の生活はどうなるのか。
そうしたことを、最終的には嫌でも意識せざるを得なくなります。
それまで見えにくかった不安が、少しずつ形を持って現れてくるのだと思います。
セミリタイア計画は不安を可視化する行為
セミリタイアを考え始めると、自然とさまざまなことを整理する必要が出てきます。
これからの生活費はどれくらい必要なのか。
資産はどの程度あればよいのか。
収入はどのような形で確保するのか。
社会制度や保険はどうなるのか。
普段はあまり深く考えることのないテーマについて、ひとつひとつ向き合うことになります。
こうして整理を進めていくと、これまで漠然としていた不安が、少しずつ具体的な形を持って見えてきます。
生活費の規模、資産の必要額、働き方の選択肢など、不安の輪郭がはっきりしてくる感覚です。
それらの不安がすぐに現実となるわけではなく、漠然とした不安が具体的な課題に変わることで、次に取るべき行動が見えてきます。
セミリタイアという生き方そのものよりも、こうして自分の生活や将来について考え、整理していく過程に意味があると思います。
安心は準備の中にある
こうして考えてみると、安心と準備には深い関係があるように思います。
そしてそれは、セミリタイアに限った話ではありません。
例えば、学校に行く前には持ち物を準備します。
旅行に行く前には、行き先や計画を確認します。
仕事でも、大切な打ち合わせやプロジェクトの前には事前の準備を行います。
どれも、不安を少しでも減らし、安心して次の行動を取るためのものです。
そう考えると、セミリタイアを考えるという行為も、同じ性質を持っています。
ライフプランを考え、収支を整理し、資産形成を進める。
その過程は、将来の不安を少しずつ具体化し、それに備える準備の時間とも言えます。
セミリタイアという選択そのものが安心をもたらすのではなく、
その過程で自分の人生を整理し、準備を進めていくことが、結果として安心につながっていく。
そんなふうに感じています。
コメント