セミリタイアが成り立つ仕組み | 50歳セミリタイアを志向する轍録(わだちろく)

セミリタイアが成り立つ仕組み

セミリタイア計画

セミリタイアという言葉は人によって捉え方が異なりますが、私にとっては「柔軟性を残したリタイア」を意味しています。
必ずしも働き続ける必要はなく、必要であれば働くという選択もできる。
そうした状態をイメージしています。

このように考えたとき、ふと疑問に思うのが、「そもそも働かなくても生活が成り立つのはなぜなのか」という点です。
一般的には、資産が十分にあれば可能になると考えられがちですが、それだけで説明できるものなのでしょうか。

今回は、「働かなくても生活が成り立つ状態」に着目し、その仕組みを構造として整理してみたいと思います。

生活は「収入」だけで決まっているわけではない

一般的には、生活は収入によって成り立っていると考えられています。
働いて収入を得て、その範囲の中で生活をする。
この考え方自体は、とても自然なものだと思います。

そのため、働かなくなれば収入はなくなり、生活も成り立たなくなる。
そう感じるのも無理はありません。

ただ、この前提はあくまで「市場で労働し、収入を得ること」を中心に置いた見方です。
言い換えれば、生活を支える手段を「収入」に限定して捉えている状態とも言えます。

実際の生活をもう少し細かく見ていくと、必ずしも収入だけで成り立っているわけではありません。
例えば、自分で料理をすることや、手間をかけて生活コストを抑えることも、生活を支える一つの要素です。

こうした部分は収入としては見えにくいものですが、確実に生活の中で機能しています。
収入を得ることと同じように、生活を維持するための力として働いています。

生活を支える3つの要素

生活が収入だけで成り立っているわけではないとすると、その内訳はどのようになっているのでしょうか。
一つの整理として、生活を支える要素を3つに分けて考えます。

一つ目は、市場労働です。
企業に勤めたり、自分で事業を行ったりすることで得られる収入がこれにあたります。
私も含め多くの人にとって、生活の中心になっている要素です。

二つ目は、資本です。
預貯金の利息や配当、不動産収入など、保有している資産から生まれる収益や取り崩しがこれに該当します。
労働を伴わずに得られる点が特徴です。

三つ目は、非市場労働です。
自炊や家事、DIYなど、時間や手間をかけることで支出を抑える行為がこれにあたります。
収入としては現れませんが、実質的には生活を支える重要な役割を果たしています。

通常の生活では、市場労働への依存度が高くなりがちです。
働いて収入を得て、その収入で生活をするという構造が基本になるためです。

ただ、見方を変えると、資本や非市場労働も同じように生活を支える要素として機能しています。
この3つのバランスによって、生活は成り立っていると考えることができます。

この構造を前提にすると、必ずしも市場労働だけに依存しなくても、生活が成り立つ可能性があることが見えてきます。

完全リタイアすら成立しうる理由

ここまでの整理を踏まえると、「働かなくても生活が成り立つ」という状態も、特別なものではなく構造として説明できるようになります。

仮に市場労働による収入がゼロになったとしても、資本からの収益があれば、それだけで生活を支えることは可能です。
また、非市場労働によって生活コストを抑えることができれば、必要な支出そのものを下げることもできます。

つまり、生活は「収入があるかどうか」だけではなく、「どの要素で支えるか」によって成立しているとも言えます。

このように考えると、完全に労働をやめた状態であっても、資本と非市場労働の組み合わせによって生活が成り立つ構造は十分に存在します。

そして、セミリタイアとはその中間に位置するものです。
市場労働への依存度を下げ、資本や非市場労働の割合を高めることで、生活全体のバランスを組み替えていく。

「働くか、働かないか」という二択ではなく、それぞれの要素にどの程度配分するか、という問題として捉えることができます。
こうした構造を前提にすると、セミリタイアは特別なものではなく、設計によって実現しうるものだと考えることができそうです。
次は、そのバランスをどのように作っていくのかについて考えてみたいと思います。

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