日々の生活の中で、「今日は良い一日だった」と感じる瞬間があります。
何かを達成できた日や、充実した時間を過ごせた日には、自然とそのように振り返ることができます。
一方で、特に何もなかった日については、「無駄にしてしまったのではないか」と感じてしまうこともあります。
どこかで、一日一日に意味や価値を持たせなければならない、という前提を持っているのかもしれません。
平日は仕事に時間を使い、限られた休日の中でいかに充実した時間を過ごすかを考える。
そうした生活の中では、「価値のある一日」をつくることが、ひとつの目標のようになっているように感じます。
セミリタイア後においては、その前提自体を手放すことができるのではないか、と思います。
今回は、「価値のある一日」をあえて手放すという考え方について、自分なりに整理してみたいと思います。
「価値のある一日」を求める日常
平日は仕事に時間を使い、週末や休日にようやく自分の時間を持つ。
多くの人にとって、このようなリズムが日常になっているのではないでしょうか。
そうした生活の中では、どうしても休日に期待を寄せるようになります。
限られた自由な時間だからこそ、「せっかくなら有意義に過ごしたい」「何か価値のあることをしたい」と考えるのは自然なことのように思います。
実際、予定を立てて外出したり、新しいことに挑戦したりすることで、「今日は良い一日だった」と感じることも多くあります。
一日に意味や成果を持たせることで、その日を肯定できる感覚が生まれます。
ただ一方で、そのような過ごし方を続けていると、どこかで疲れを感じることもあります。
「価値のある一日」を過ごそうとすればするほど、何もできなかった日を否定的に捉えてしまいがちになりますし、結果として一日の良し悪しを常に評価しているような状態にもなります。
本来は休むための時間であるはずの休日が、「何かをしなければならない時間」に変わってしまう。
そのような感覚を持つことも、決して珍しくないのではないかと思います。
私たちは日常の中で、無意識のうちに「一日には価値を持たせるべきだ」という前提を持っているのかもしれません。
セミリタイア後は「価値」を求めなくてよくなる
こうした前提は、働き方や生活のリズムと強く結びついています。
平日と休日が明確に分かれているからこそ、限られた時間に価値を持たせようとする意識が生まれるのだと思います。
その前提が大きく変わるのが、セミリタイア後の生活です。
仕事に縛られる時間が減る、あるいはなくなることで、平日と休日の境界は曖昧になり、一日ごとに意味や役割を持たせる必要も薄れていきます。
特定の日に「価値のある一日」を求めるのではなく、どの日も同じように過ごすこともできるし、あえて何かをする日をつくることもできる。
つまり、「価値を持たせるかどうか」を自分で選べる状態になります。
この選択肢があるということ自体に、大きな価値があるのではないかと感じています。
価値のある一日をつくることもできるし、何も特別なことをしない一日を過ごすこともできる。
そのどちらも、自分の意思で選べるという点に意味があります。
日々の時間を「評価する対象」として扱うのではなく、ただ過ごすことが許される状態。
時間、義務、タスク、リターンといった”測り”から少しずつ離れていくことで、これまでとは異なる感覚で一日を捉えられるようになるはずです。
「価値のある一日」を手放すというのは、何かを諦めることではなく、評価し続ける状態から離れることでもあるのではないかと思います。
それでも、ただ過ごすだけでは満たされない
「価値のある一日」を手放すことができるとしても、それがそのまま「何もせずに過ごす日が続いてもよい」ということにはなりません。
特に何もなく一日が過ぎていくこと自体は、決して悪いことではありません。
ただ、それが長く続いたときに、自分の中に何も残っていないような感覚を覚えるのであれば、それは少し違います。
一日一日に明確な意味や成果を求める必要はなくても、振り返ったときに「自分は何をしていたのだろうか」と感じてしまうような時間の積み重ねは、どこか満たされないものとして残るように思います。
だからこそ大切なのは、「価値を持たせようとすること」ではなく、「自然と楽しいと思える時間を過ごしているかどうか」なのではないでしょうか。
義務や評価のためではなく、自分の興味や関心に従って時間を使う。
その中で、結果として何かに没頭できているのであれば、それは十分に意味のある時間だと言えるように思います。
セミリタイア後に目指したいのは、時間や成果といった測りから距離を置きながらも、自分にとって心地よい状態を自然と保てている日常です。
その中で、気づけば何かに集中していたり、ふとした瞬間に満足感を覚えたりする。
そうした日が一日でも多く積み重なっていくことにこそ、価値があるのではないかと感じています。
「価値のある一日」をつくるのではなく、結果として満たされる日々を過ごす。
そのような状態に少しでも近づいていければ、それだけで十分なのだと思います。
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