一般人の目線からセミリタイアを考える | 50歳セミリタイアを志向する轍録(わだちろく)

一般人の目線からセミリタイアを考える

考え方・背景

セミリタイアを考えていると、思考も自然とそちら寄りになってしまいます。
目標として意識している以上、それはある意味当然のことかもしれません。

ただ、たまには少し足を止めて、別の視点からセミリタイアを見つめてみるのも大切なのではないかと思いました。

そう言っている時点で、すでにセミリタイアの枠組みから完全に離れられているわけではありませんが、できるだけフレッシュな気持ちで、「一般的な目線」からこのテーマを考えてみたいと思います。

一般人の目線とはどんな立場か

ここでいう「一般人」という言葉に、特別な意味を持たせているわけではありません。
単純に、セミリタイアという生き方を特別に意識していない人、というくらいの意味で使っています。

多くの人にとって、働くということは生活の前提として存在しています。
学生の頃から社会人になり、定年まで働く。
多少の転職や変化はあっても、その大きな枠組みはあまり変わりません。

収入も、生活設計も、基本的にはその前提の上に成り立っています。
毎月の給与があり、休日があり、長期休暇があり、そのリズムの中で生活が組み立てられていきます。

私自身も、もともとはその前提の中で生きていました。
特別なことを考えず、自然とそういうものだと思っていたように思います。

そう考えると、セミリタイアという発想そのものが、一般的な枠組みから少し外れたものなのかもしれません。

一般的な目線から見たセミリタイア

では、そうした一般的な立場から見たとき、セミリタイアはどのように映るのでしょうか。

そもそも「セミリタイア」という言葉自体、どれほど広く認知されているのかは少し疑問があります。
人によっては、単に「早期退職」として理解されることも多いかもしれません。

一般的な感覚で考えれば、働くということは生活を支えるための大前提です。
そのため、まだ働ける年齢で仕事の量を減らす、あるいは一度仕事から離れるという選択は、不安定なものに見えるのも自然なことだと思います。

収入はどうするのか。
生活は安定するのか。
社会とのつながりはどうなるのか。

こうした疑問が浮かぶのは、ごく当たり前の反応でしょう。

そう考えると、セミリタイアという生き方は、一般的な選択肢とは言えません。
少なくとも、多くの人が当然のように選ぶ生き方ではないように思います。

一般的でないからこそ成り立つ部分もある

セミリタイアという生き方は、一般的なものではないとして、その一方で、一般的でないからこそ成り立つ部分もあるのではないかとも感じています。

例えば、平日は多くの人が仕事に時間を割いています。
社会の多くの活動は、この前提のもとで成り立っています。

その結果として、平日限定の割引やサービスが用意されていたり、観光地や施設が比較的空いていたりと、時間の使い方によってはメリットを得られる場面もあります。

もちろん、それだけでセミリタイアを正当化できるわけではありません。
収入の問題や、近親者との関わり方など、考えるべきことは多くあります。

それでも、社会の多くの人が同じリズムで生活しているからこそ、そのリズムから少し外れた生き方に、独自の余裕が生まれるのだと思います。

一般的でない生き方には、リスクもあります。
しかし同時に、一般的でないからこそ生まれる可能性もあります。
そんなことを改めて考えさせられました。

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