海外で日本語が聞こえたときに発動する“空気読みモード”の話

記録・雑記

昨年末の休みに、家族でスペインへ旅行をしてきました。
その中で、日本人観光客に多く遭遇する場面がありました。
観光地なので不思議なことではないのですが、そこで少しだけ落ち着かない感覚がありました。

なぜそう感じたのかは、その場ではよく分かりませんでしたが、あとで少し考えてみると、自分の中で発動した“モード”の切り替えが理由だったように思います。

日本語だけが“意味として入ってくる”

スペインに限りませんが、海外では、街を歩いていても、カフェでコーヒーを飲んでいても、周囲の会話はほとんど意味として入ってきません。
英語や他の言語は聞こえてはいるのですが、音として流れていくので、意図せず内容を理解してしまうことはありません。

ところが、日本語は違います。
聞き取ろうとしなくても、意味の単位でそのまま理解できてしまいます。

スペインのベーカリーや観光地の列に並んでいるとき、周囲にいた日本人観光客の会話が自然と耳に入ってきてしまい、そこで少し不思議な感覚が生まれました。
意思とは関係なく情報が入ってくる、というのはなかなか面白い現象です。

自分の言葉も“意味として届いてしまう”

日本語が飛び交う空間では、自分の言葉も同じように意味として届いてしまいます。
現在の日常生活では、私の日本語は背景に溶けてしまいますし、内容が理解される可能性も高くありません。
しかし日本語を話す人たちが近くにいると、一気に状況が逆転します。

自分の声量や話の内容、振る舞いそのものが、急に“情報”として周囲に届く側になる。
意識しているわけではありませんが、自然と“観察する側”から“観察される側”に切り替わる感覚がありました。

海外生活でOFFになっていたものが、急にONになる

興味深いのは、こうした状況になると、普段はほとんど使わなくなっていたはずの“日本的な空気読みモード”が、勝手に起動してしまうことです。

  • 声量を下げる
  • 話す内容を選ぶ
  • 周囲との距離感を調整する

そうした反応が、まるで自動的に動作します。
普段のオランダの生活では特に起動していなかったので、余計に違和感として感じられたのだと思います。

面白いことに、これは“街中の人混み”では起きませんでした。
匿名性の高い空間では、自分は完全に背景に溶けてしまいます。

しかし、列に並ぶ、注文を待つ、といった“限定された場面”では、途端にその装置が作動します。
どうやら、距離感と状況がトリガーになっているようです。

生活者と観光者のあいだで生まれる違和感

この違和感は、おそらく「日本人が多かったから」ではなく、自分が旅行者ではなく“生活者側”の感覚でスペインにいたために生まれたズレだったのでしょう。

仕事で暮らしていると、海外は“生活の場”になります。
一方で、観光客の日本人にとっては、そこは“完全に旅行の場”です。

同じ言語を話しながら、立っている文脈は全く違う。
その距離感が、自分の中で落ち着かなさとして現れたのだと思います。

まとめ

海外生活の中でも、日本人として常識的な行動を心がけていますが、その上でも発動する“空気読みモード”は、久しぶりの感覚でもあり、少し気が疲れるなと感じました。
それが日本人の良さであり、強みでもあるとは思うものの、それが常にオン状態になるであろう日本の生活に戻ることを考えると、今から若干気が重くなります。

そんなことを考えたときに、人との接点が減っていくセミリタイア生活に思いを馳せるばかりです。

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