2025年の最終出社日

考え方・背景

今日は2025年の最終出社日です。
お昼までの勤務で終わりということもあり、少し得した気分です。

特別な出来事があるわけではありませんが、年末のこのタイミングで一区切りを迎えると、ちょっと考える時間が生まれます。

今週は、子どもたちが先週から休みに入っていることもあり、家族は朝早く起きる必要がありませんでした。
外はまだ真っ暗で、家の中も静まり返っています。

家族が全員寝ている状態で身支度をして、そっと家を出るのですが、その雰囲気から、赴任当初の単身期間を、ふと思い出しました。
当時は、それが当たり前で、特に何かを感じることもなく、淡々と日々を過ごしていたように思います。

けれど今は、家族といる生活にすっかり慣れたからでしょうか。
生活音のない朝の時間に、ほんの少しの寂しさのようなものを感じるようになっています。

少し違う話かもしれませんが、社会とのつながりに慣れた人にとっては、それを手放すセミリタイアに対して、寂しさや不安を覚えるのだろうな、と今回あらためて思いました。

社会とのつながりを否定するつもりは、まったくありません。
ただ振り返ってみると、自分は無意識に近いレベルで、そうしたつながりを避けてきた部分もあったのだと思います。

家族との時間だけでも、毎日はかなり忙しく感じます。
そこにさらに、社会とのつながりやコミュニティを積極的に持つことは、正直なところ、あまり想像ができません。

一方で、もし今も独身だったとしたら、「自分一人の生活でも精一杯なのに、家族のいる生活なんて想像できない」と、きっと言っている気もします。

そう考えると、今の家族がいる生活は、思い切りと、タイミングと、運と、そしていくつもの偶然が重なった結果なのだと思います。
2025年最終出社を迎える前の、少し静かな時間の中で、そんなことを考えました。

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