社会人になって10年以上が経ち、気がつけば自分も広い意味ではアラフォーと呼ばれる年齢になっています。
日々の中でふと感じる「年を重ねてきたな」という実感はいくつかありますが、そのひとつが、好みの志向です。
最近、自分が楽しいと感じるものや、自然と手に取ってしまうものを振り返ってみると、その多くが学生時代、あるいはそれ以前に触れていたものに紐づいていることに気づきます。
新しいものを否定するわけではないのですが、どこか安心感があり、気負わず楽しめるのは、過去に経験したものばかりです。
そう考えると、好みというものは、その時々の流行や環境だけでなく、もっと昔の記憶に深く根ざしているのではないか、と感じています。
今回は、自分の中に残っている「好みの原点」を辿りながら、そこから見えてくる時間の使い方や、これからの生き方について考えてみたいと思います。
なぜ昔好きだったものに惹かれるのか
私の趣味のひとつにミニ四駆があります。
子どものころに夢中になって遊んでいたもので、大人になってから再び触れてみても、当時と変わらず楽しめる感覚があります。
また、昨年タカラトミーからビーダマンが復活したというニュースを見たときも、自然と心が動きました。
今年も新しいシリーズが出ると知り、どこかワクワクしている自分がいます。
音楽についても同じです。中高生のころによく聴いていた洋楽などは、今でもふとした瞬間に聴きたくなりますし、実際に聴くと当時の空気感まで思い出すような感覚があります。
またアニメの主題歌なども、どこか平成の雰囲気を感じるものに触れると、不思議と落ち着くような気持ちになります。
ゲームも最近は新しいタイトルをプレイする機会はかなり少なくなりましたが、かつて遊んだ作品については、今でも思い出しては「もう一度やってみたい」と感じることがあります。
新しい情報をアップデートする必要がなく、すでに知っている世界の中で安心して楽しめる、という側面もありそうです。
こうして振り返ってみると、自分の「好き」と感じるものの多くは、学生時代やそれ以前の経験に強く結びついています。
単なる懐かしさだけではなく、当時の記憶や感情と一体となっているからこそ、時間が経ってもなお価値を持ち続けているように思えます。
社会人になってから記憶が薄くなる理由
では、なぜ学生時代の記憶に紐づいたものに惹かれやすくなるのでしょうか。
ひとつの理由として感じているのは、社会人になってからの時間の使い方です。
日々の生活はどうしても仕事を中心に回り、一定のリズムの中で過ごすことが多くなります。
もちろん、その中にも新しい経験はありますが、学生時代と比べると、何かに没頭したり、純粋な興味のままに時間を使ったりする機会は少なくなってしまいます。
また、時間の流れそのものも大きく変わっています。
子どものころは1日や1年がとても長く感じられ、その分ひとつひとつの出来事が強く記憶に残っていました。
一方で、社会人になってからは1年があっという間に過ぎていきます。
振り返ってみても、数年前の出来事なのか、それとも10年近く前のことなのか、曖昧になってしまうことも少なくありません。
こうした感覚の違いは、経験の密度の差なのかもしれません。
新しいことに触れる機会や、それに対してじっくり向き合う時間が少なくなることで、ひとつひとつの出来事が記憶として定着しにくくなっているのではないかと思うのです。
少し極端な言い方をすれば、人生の一つ一つの出来事が、以前よりも薄くなっているような感覚です。
だからこそ、より鮮明に残っている過去の記憶に紐づいたものに対して、自然と共感や安心感を覚えるのではないか、と考えています。
記憶に残る時間をどう作るか
こうしたことを考えていると、セミリタイア後の時間の使い方についても、ひとつの期待が浮かんできます。
年齢を重ねることで、記憶に残りにくくなるという側面はあるのかもしれません。
それでも、自分の意思で時間の使い方を選び、やりたいことにしっかりと向き合うことができれば、その時間の密度は大きく変わるのではないかと思います。
学生時代の記憶が色濃く残っているのは、単に若かったからというだけでなく、ひとつひとつの経験に対して多くの時間と意識を向けていたからなのではないか。
もしそうだとすれば、年齢に関係なく、時間の使い方次第で「記憶に残る時間」はつくれるのではないか、と思うのです。
セミリタイア後は、働く時間を減らすことで、そうした時間の使い方に少しずつ近づける可能性があります。
誰かに決められたスケジュールではなく、自分の興味や関心に従って時間を使う。
その積み重ねが、結果として記憶に残る日々につながっていくのではないでしょうか。
人は最後のときに、自分の記憶を辿りながら人生を振り返る、と想像しています。
そうであるならば、どれだけ長く生きるかだけでなく、どれだけ記憶に残る時間を過ごせたかという視点も、大切になってきます。
これからの時間の使い方を考えるうえで、「記憶に残るかどうか」という軸を、ひとつ持っておくことには意味があるように感じています。
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