早ければ、あと1年ほどで帰任が決まっても不思議ではない時期に入っています。
具体的な辞令が出ているわけではありませんが、物理的な準備よりも先に、仕事面での心の準備をしておく必要があると感じています。
帰任が近づくにつれ、これまでの駐在期間をどう総括されるのか、そして自分自身がそれをどう受け止めるのかが、少し意識しておく必要があります。
今回は、帰任に向けて考えていること、とくに仕事に関する心づもりについて整理しておこうと思います。
帰任時に問われる「駐在の成果」
帰任した際にほぼ確実に問われるのが「駐在の成果は何だったのか」という点です。
今の会社の場合、ここで求められる成果とは、日々の地道な業務や細かな改善の積み重ねではなく、「新しい何かを達成した」「外から見て分かりやすい功績がある」といったものを指しています。
確かに、そうした成果は説明しやすく、評価もしやすいのだと思います。
ただ実態としては、ビジネスとして大きな意味を持つとは言い難いニッチな案件を、上手に加工して報告しているだけ、という場面も少なくありません。
それを聞いて過度に期待を膨らませる構図には、正直なところうんざりします。
駐在の仕事は、地味な提案や継続的な取り組みが多くを占めます。
しかし、そうした部分は評価の土台に載りにくく、結果として「分かりやすい成果」だけが強調されてしまいます。
この評価軸そのものに、帰国を前にして向き合う必要があると感じています。
自分が選んだスタンスと、受け入れている代償
私自身は、「新しい何かを打ち立てる」ことよりも、今ある会社の強みをどう活かし、どう伸ばすかに重きを置いてきました。
派手さはありませんが、継続性や再現性のある部分に力を使うほうが、結果として意味があると考えているからです。
会社として、こうした動きは本来もっと早い段階からやっておくべきだったとも感じています。
ただ、このスタンスは、これまでの駐在員像――社内的に見栄えのする成果を前面に出す在り方――とは異なります。
そのため、帰国後には一定数の外野から、細かな指摘をされるだろうと予想しています。
それでも、この選択自体を後悔しているわけではありません。
私なりに会社のことを考え、どこに力を使い、どこを切り捨てるかを選んだ結果であり、社内的なパフォーマンスには興味ありません。
それでも支えになっている評価と、期待の重圧
一方で、今一緒に働いてくれている現地のメンバーは、私の動きを是として受け止めてくれています。
日々のやり取りの中で、その気持ちが伝わってくることは、私の選択や行動ではないという支えにはなります。
少なくとも、目の前の仕事に向き合ううえでは、それだけで十分だと感じています。
ただ、帰任後を考えると、別の種類の重圧が見えてきます。
赴任前よりも良い働きをすることが期待され、その期待に応えれば、さらに高い成果を求められる。
この流れは、努力を否定するものではありませんが、終わりの見えない構造でもあります。
どれだけ頑張っても、次の期待が積み上がる。
そうしたエンドレスな循環から、距離を取りたいという思いがあります。
上手く自分を卑下し、小さく見せることで、バランスの取れた位置に落ち着けないかと考えてもいますが、その段階に至るまでに、それなりの精神的な疲労が伴うのだろうと予想しています。
まあ、そうそう上手くは行かないでしょうが。
沈みかけた船と、避難準備
私が入社した当時、会社は小さいながら立派な帆を張った船のように見えていました。
進む方向も明確で、多少の荒波があっても乗り切れるだけの勢いがある、そんな印象です。
ただ、正直なところ、今はかなり状況が変わっているように見えます。
もちろん、すぐに沈没するわけではありませんが、延命に力を注ぐ場面が増えているようにも感じています。
頑張っている社員、いや、頑張れてしまう社員程、疲弊しているように見えます。
少なくとも、社内おいてそう感じているのは私だけではないようです。
私としては、その延命作業に自分のエネルギーを使い続けたくはありません。
そんなところにエネルギーを割くくらいであれば、安全に離れるための避難準備や次のフィールドに力を注ぎます。
私にとって帰国時に必要な心の準備とは、外野からの野次をかわすメンタルの構築と、情に流されず状況を見極める覚悟を持っておくこと、になりそうです。
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