私は、気になったことをわりと長い期間かけて考えるタイプです。
長いときには、数年単位になることもあります。
ただし、その間ずっと考え続けているわけではありません。
ふと思い出したときに少し考えて、またしばらく忘れて、
そんなことを繰り返しながら、ゆっくりと頭の中で転がしている感じです。
気になったことを、長い時間かけて考えるタイプ
昔から、何かが気になると、時間をかけて自分が納得するまで考えます。
それは仕事上の判断という意味ではなく、自分自身のことや、価値観に関わる部分が多く、すぐに答えが出るものではないためです。
考えているテーマは、「幸せとはなにか」「なにをもって普通とするのか」といった、哲学的なものが中心です。
そのため、短い時間で整理することはあまり向いていません。
時間をかけて考える、というよりも、時間の経過そのものを使って考えている、というほうが近いのかもしれません。
経験や生活の変化が積み重なる中で、同じ問いを別の角度から見られるようになることもあり、その過程を含めて「考えている」と感じています。
どれだけ時間をかけたとしても、ふとした瞬間に、結論がすっと自分の中に落ちてくることがあります。
その感覚を、私はわりと気に入っています。
ずっと考えているわけではない
長い時間をかけて考えている、と聞くと、常に同じことを頭の中で反芻しているように思われるかもしれません。
けれど実際には、そんな状態で過ごしているわけではありません。
日々の生活の中では、仕事や家のこと、目の前の用事に意識が向いていて、考えごとは後ろに下がっています。
気になっていたテーマを、意識的に脇に置いているというより、自然と手放している時間の方が多いように思います。
何かのきっかけで思い出したときに、少しだけ立ち止まって考える。
そのあと、特別な結論が出なくても、そのまま日常に戻っていきます。
考える時間と、考えない時間を行き来しているからこそ、考え続けることが負担にならず、長い時間をかけることができているのだと思います。
答えを急がなくていいという感覚
こうして振り返ってみると、自分が時間をかけて考えられているのは、答えを出すことに期限が設けられていないからなのだと思います。
いつまでに結論を出さなければならない、という前提がないからこそ、考えたり、考えなかったりする余白が生まれています。
もし「今すぐ決めること」が求められていたら、このやり方は成り立ちません。
時間をかけて考えるというよりも、決断を先延ばしにしているような感覚になり、落ち着かなくなっていたと思います。
答えを出すことが目的になっていないからこそ、考える過程そのものを続けていられる。
そう考えると、結論よりも、その途中にある状態を楽しんでいるのかもしれません。
考える自由と同時に、考えない自由がある。
少し不安定な状態ではありますが、私にはそれが心地よく感じられます。
セミリタイア後に求めているもの
ここまで書いてきて、私がセミリタイア後に求めているものは、生活の余裕や時間の多さそのものではないのかもしれない、と感じています。
むしろ、考えることに対して時間的な制約がなくなる状態、その前提にある自由さを大切にしたいのだと思います。
何かを決めるために急かされず、答えが出なくても問題にならない。
そうした環境があるからこそ、気になったことを、気になったまま抱えておくことができます。
考え続けてもいいし、しばらく考えなくてもいい。
その選択を自分で決められることが、私にとっては重要です。
セミリタイアという言葉から連想されがちな、明確なゴールや完成形を思い描いているわけではありません。
ただ、時間に縛られずに思考したり、やりたいことに向き合える状態を持ち続けられたら、それで十分なのかもしれません。
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