駐在という強制ミニマリズム | 50歳セミリタイアを志向する轍録(わだちろく)

駐在という強制ミニマリズム

考え方・背景

駐在生活は、ある意味で強制的なミニマリズムだと感じています。
持ち込める荷物には限りがあり、帰国時のことも常に頭の片隅にあります。

欲しいものは、いくらでもあります。
けれど、その多くは「なくても生活は成り立つもの」です。

期限付きの生活だからこそ、本当に必要なものだけが残っていく。
いまは、そんな状態にあります。

減らす思想には賛成、目的化には反対

私は、不要なものを減らしていくというミニマリズムの思想そのものには賛成です。
使っていないものや、役割を終えたものを手放すことは、生活を軽くしますし、思考も整理されます。

ただ一方で、「家の中から物を減らすこと」そのものが目的になってしまう場合には、少し違和感があります。
減らした結果として生活が軽くなるのであれば良いのですが、減らすこと自体が目標になると、本質からずれてしまうように感じるからです。

例えば、テレビモニターはなくても良い、という考えには賛成です。
そもそも使っていないのであれば手放せばいいですし、PCモニターで代用できるのであれば合理的です。
機能が重複しているものを統合するのは、自然な整理だと思います。

しかし、洗濯機はなくても良い、コインランドリーで代用できる、というような発想には賛成できません。
それは物を減らしただけで、洗濯という作業を外部に移しただけだからです。
生活の負荷が軽くなっているわけではなく、形を変えて残っています。

減らすことが目的なのか、それとも生活を最適化することが目的なのか。
その違いは、思っている以上に大きいと思います。

駐在という強制的セーブ装置

駐在生活では、便利で欲しいものはいくらでもあります。
例えばエアフライヤーやアイロン、収納棚など、あれば生活の質が少し上がりそうなものは数多くあります。

ただ、それらを気軽に増やせない理由があります。
滞在期間が限られていること、そして帰国時の荷物の問題です。

物理的には持ち帰ることは可能かもしれません。
しかし、その分だけ荷物は増え、整理や輸送の手間も増えます。
数年後に手放す可能性が高いものを、いま積極的に増やすのかどうか考えると、自然とブレーキがかかります。

その結果として残るのは、「本当になくても生活が成り立つもの」に限定された環境です。
便利さは少しだけ抑えられますが、不便でどうにもならない、というほどではありません。

強制的にセーブされている状態だからこそ、自分にとっての必要最低限がはっきりしてきます。
欲しいかどうかではなく、なくて困るかどうか。
その基準で選別されていきます。

ものだけでなく、行動もミニマルになる

駐在によるミニマリズムは、物だけにとどまりません。
行動の面でも、自然と削ぎ落とされていきます。

代表的なのは外食です。
日本にいた頃と比べると、外食の頻度は極めて少なくなりました。
選択肢が限られていたり、物価が高いということもあり、結果として自炊中心の生活になっていますが、特に不満はありません。

私自身の散髪も同様です。
妻のおかげもあり、今では完全に内製化されました。
仕上がり具合も全く遜色なく、非常に満足しています。

もちろん、帰国後もすべてを駐在中と同じ水準に保つ必要はないでしょう。
便利さを取り戻すことが悪いわけではありません。

ただ、一度ミニマルな状態を経験してから、必要なものを積み上げていくほうが、無自覚に増えていくよりも合理的だと感じています。

大切なのは、減らすことそのものを目的化しないことです。
目的はあくまで生活の最適化であり、最適化とは持続可能な状態のことだと思います。

無理をして削るのではなく、自然に回る形を探すこと。
駐在という強制的な環境は、その実験の場になっています。

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