古代ギリシャ語に、アガペー(Agape) とフィリア(Philia) という言葉があります。
私はこれらの言葉に、自分なりの人との距離感に通じるものがあると感じています。
本来の意味とは違う部分もあると思いますが、今回は私なりの解釈として整理してみたいと思います。
私にとってのアガペー
まず、私にとってのアガペーについて整理してみます。
アガペーには様々な解釈があると思いますが、私が共感しているのは、
「相手に見返りや価値を求めず、ただ相手の幸福を願う愛」
という部分です。
そして私にとって、この考え方が最も当てはまるのは妻です。
結婚を決めた頃から、その根本的な部分は今も変わっていません。
もちろん日常生活の中では意見が違うこともあります。
ただ、それらとは別のところで、私は妻に対して見返りを求めていません。
相手が幸せでいてくれること。
それ自体を願っています。
振り返ってみると、自分の行動や判断を説明しようとしたとき、その根底にはこの考え方があることが少なくありません。
だからこそ、アガペーという言葉を知ったとき、自分の考え方に近いものを感じました。
もちろん本来の意味とは違う部分もあるかもしれません。
それでも私にとっては、自分の行動原理を説明する上で、とてもしっくりくる言葉のひとつです。
私にとってのフィリア
一方で、フィリアについては少し考え方が異なります。
私が共感しているフィリアのイメージは、
「見返りを求めず、お互いを尊重し合う対等な関係で結ばれた自発的な愛」
というものです。
私にとっては、両親や義理の両親、そして親友と呼べるような存在がこれに近いように思います。
ただ、私の中ではフィリアにはひとつ条件があります。
それは、お互いがフィリアを与え合う関係であることです。
ここでいう対等とは、立場や年齢のことではありません。
相手を尊重し、相手のことを思って行動する。
そして相手もまた、自分に対して同じように接してくれる。
そうした関係性のことです。
そのため、私の中では一方通行のフィリアは存在しません。
この考え方は、人によっては見返りを求めているように見えるかもしれません。
ただ私自身はそうは考えていません。
相手から何かを受け取ることを期待しているのではなく、その人が私に対してフィリアを向けてくれる存在なのかどうかを見ているだけです。
言葉として意識しているかどうかは関係ありません。
お互いを尊重し、お互いのことを思って行動する。
その結果として成り立つ関係であれば、そこに見返りを求める必要はありません。
逆に、その関係が成り立たないケースでは、私はその相手との関係を是々非々で考えることになります。
私は人との距離感をこう整理している
このように整理してみると、私の人との距離感はかなり大雑把なものです。
まず妻に対するアガペーがあります。
そして両親や義理の両親、親友などに対するフィリアがあります。
それ以外の人たちについては、良い悪い、好き嫌いではなく、その都度是々非々で考えています。
人によっては、もっと細かく人間関係を分類しているのかもしれません。
ただ、私は人付き合いが器用な方ではありません。
そのため、あまり関係性を複雑に考えても上手く扱えないような気がしています。
だからこそ、
アガペー
フィリア
その他(是々非々)
というくらいの大雑把な整理の方が、自分にはしっくりきています。
もちろん、これが正しい考え方だとは思っていません。
アガペーやフィリアの本来の意味とも違う部分があると思います。
それでも、自分がなぜその人を大切に思うのか、あるいはどのような距離感で接しているのかを考えたとき、この整理が最も納得感のあるものです。
今後考え方が変わることもあるかもしれません。
ただ、少なくとも今の私は、このような形で人との距離感を整理しています。
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