「Die with Zero」という考え方については、以前も少し触れたかと思います。
資産を最大化するのではなく、最終的に使い切ることを前提に人生を設計するという発想です。
もし使い切ることを前提にできるなら、資産形成に充てる時間を必要最小限に抑え、その分を経験や家族との時間に回すことができるはずです。
理想としては、とても合理的だと思います。
ただ、実際には、そう単純でもないとも感じています。
理想だと思う、けれど難しい理由
資産形成=資産消費。
そう割り切ることができれば、Die with Zeroはとても明快です。
けれど実際には、余裕のある資産には「不安を軽減する効果」があります。
生活費の何年分かが手元にあるだけで、判断は落ち着き、選択肢も広がります。
もうひとつの現実は、死ぬタイミングを自分でコントロールできないということです。
いつまで生きるのか分からない以上、ぴったりゼロに合わせることはほぼ不可能です。
日本の制度を前提にすれば、安楽死のように最終時点を設計することもできません。
その不確実性に備えようとすればするほど、どうしても「余剰」を持ちたくなります。
完全な“ゼロ”は、かなり難易度の高い目標です。
それでも、私なりの立ち回りを考えてみたいと思います。
私なりの解決策 “実質ゼロ”
完全なゼロを目指すのが難しいのであれば、発想を少し変えてみる必要があるのかもしれません。
幸い、私には子どもがいます。
そして将来、もし孫に恵まれることがあれば、資産を受け取る存在は明確です。
自分で消費しきれないと判断した資産については、計画的に生前贈与を進めていくという選択肢があります。
そうすることで、最終的に「実質ゼロ」に近づけていくという考え方です。
数字としてのゼロを目指すのではなく、自分の人生に必要な分だけを残し、それ以外は循環させていく。
そう捉えれば、Die with Zeroの思想を現実に落とし込める可能性があります。
死後相続と生前贈与の違い
両者の違いは、自分が関与できるかどうかだと思っています。
相続後を見届けることができませんが、生前贈与であれば、その資産が何を生み出すのかを、生きている間に見ることができます。
子や孫が何かに挑戦する。
選択肢が増える。
その一因として自分の余剰資産が機能するかもしれない。
もちろん、それが有意義に使われるかどうかは分かりません。
それは当事者に委ねるべきで、私はあくまで観察者として、その先を見届ける立場でいたいと思っています。
それでも、自分の資産が動いた先を見られること自体が、ひとつの経験になるのではないかと思うのです。
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