私を支える家族の適応力 | 50歳セミリタイアを志向する轍録(わだちろく)

私を支える家族の適応力

考え方・背景

現在、私たちはオランダで暮らしています。
日本とは違った、どこかのんびりとした空気感や生活リズムには、正直なところ満足しています。

とはいえ、海外生活には独特の不便さもあります。
日本のような便利さやきめ細やかさを前提にしていると、小さなストレスが積み重なる場面も少なくありません。

それでも、そんな環境にうまく適応してくれている家族の姿を見るたびに、私はそっと感謝の気持ちを抱いています。

子どもの環境変化と適応力

帯同前、子どもたちの気持ちは一応確認しました。
とはいえ、年齢を考えれば、最終的には親の決断に合わせてもらう形になっていたのも事実です。

日本の小学校に進学したと思ったら、気づけば英語漬けの生活へ。
ほとんど英語を勉強していなかった状態から、突然環境が変わるわけですから、最初の頃は相当な負荷があったはずです。

言葉が分からないというのは、想像以上に心細いものだと思います。
それでも、少しずつ友達を作り、最低限でも英語でコミュニケーションを取れるところまで来ました。

また、こちらは物価も高く、外食はファーストフードを含めても気軽にはできません。
日本のような便利なショッピングモールもありません。

それでも、少なくとも私の目から見て、子どもたちはある程度楽しそうに日々を過ごしてくれています。
その姿を見るたびに、私はほっとすると同時に、ありがとうという気持ちを覚えます。

妻の成長と想像を超える適応

妻についても、改めて考えると驚かされることばかりです。

英語は学生時代に学んだ程度。
実務で使ってきたわけでもなく、特別得意というわけでもありませんでした。

それでもこちらに来てから、各国のママ友とも交流できるようになっています。
言葉だけでなく、文化や価値観も異なる中で関係性を築いていくのは、決して簡単なことではないはずです。

左ハンドルの車を普通に運転し、一人でジムに通い、自分の生活圏を広げている姿を見ると、その適応力は私の想像を超えていました。

私はもともと仕事を通じて海外に出る機会がありましたが、妻はゼロから生活基盤を築いていった側面が強いです。
その過程を思うと、私以上に大きな変化を受け止めてきたのかもしれません。

当たり前のように日常が回っていますが、それは決して当たり前ではなく、彼女の積み重ねの上に成り立っているのだと感じます。

過酷さの中で支えられているのは私かもしれない

こちらでの生活は、決して快適一辺倒というわけではありません。

水道管はすぐ詰まり、バスタブは実質使えず、シャワーは数分おきに水になる。
日本では考えにくいような小さな不便が、日常の中に散らばっています。

私はどちらかといえば、多少過酷な環境でも何とかなるタイプです。
食事が多少合わなくても、生活が多少不便でも、体力とメンタルで押し切ってしまうところがあります。

けれど、ふと立ち止まって考えると、その環境に一緒についてきてくれている家族の存在こそが、今の私を支えてくれているのではないかと思います。

私が海外で働けているのは、自分の適応力のおかげだと思いがちです。
けれど実際には、家族の適応力の上に成り立っている部分の方が大きいように思えます。

自分も含めて、家庭に不安が少ないということ。
それは、海外生活において想像以上に大きな支えになっていると感じます。

今日はそんな家族への、驚きと感謝の気持ちを、ここに記録しておきたいと思います。

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