家族が戻って来て、いい意味で忙しくなりました -「自分のペース」で生きる意味 - | 50歳セミリタイアを志向する轍録(わだちろく)

家族が戻って来て、いい意味で忙しくなりました -「自分のペース」で生きる意味 -

セミリタイア計画

日本へ一時帰国していた家族が、無事オランダに戻ってきました。

これまで過ごしていた静かな単身生活もあっという間に終わりを告げ、家の中は急に賑やかで、いい意味でとても忙しくなりました。

一人で生活していた期間中は、一人の時間について特に何かを強く感じていたわけではなく、正直あまり記憶に残らないほど淡々と過ぎ去っていった感覚でした。
しかし、家族が戻ってきてからの状況とのギャップを前にして、「一人の時間と、家族と過ごす時間の差」の大きさを改めて再認識させられています。

普段過ごしていると当たり前になってしまいがちな、家族がいることと単身でいることの差を記録しておくとともに、そこから見えてきた「自分の人生のペースをつかむ意味」について考えてみたいと思います。

圧倒的な静けさと、緩やかな時間の流れ 

単身で生活している間、何かを深く感じていたかというと、実はそれほど強い記憶があるわけではありません。
しかし、家族が戻ってきた後の状況と比較してみると、「一人の時間」というのはまったく別物だったのだと再認識させられました。

思い返してまず感じたのは、圧倒的な静けさです。そして、時間の流れがとにかく緩やかでした。

実際に自分が自由に使える物理的な時間が長いのはもちろんですが、感覚的にも「平日の仕事が終わって帰宅してから、寝るまでにまだ半日くらいある」ような独特のゆとりがありました。

ゆっくりご飯を食べて、残りの時間を少し趣味にあて、慌てることも急ぐこともなく余裕を持って布団に入る。
すべてを自分のペースで行うことができるこの時間は、どこか「セミリタイア後の生活の片鱗」を味わっているかのような感覚でもありました。

人によっては、この静かさが退屈で仕方なくなるのかもしれません。
ただ、自分のような適性がある人間にとっては、非常に心地よく、精神的にも穏やかでいられる時間なのだと改めて実感しました。

家族が戻ってからの喧騒と時間の加速 

家族が戻ってきてからの我が家は、小学生の子ども二人による圧倒的な賑やかさに包まれています。

年齢的にも「かまってくれる今が花」ではあるものの、「これで遊ぼう」「この話を聞いて」と次々に声がかかり、単身生活の静けさからのギャップに驚くばかりです。
もちろん、私自身の趣味に付き合ってくれている部分もあるので大歓迎なのですが、一人のときとの差には圧倒されます。

遊びにしろ、ご飯にしろ、生活のあらゆる場面が自分以外のペースで進んでいくと、時間は本当にあっという間に過ぎ去り、気付けばもう寝る時間になっています。

もちろん家族の場合、その忙しさは楽しみや喜び、そして幸せに直結するものなので何ら問題はありません。
ただ、一緒に過ごす存在がいるだけで、ここまで時間の体感速度が変わるものなのかと思わされました。

人生において「自分のペースをつかむ」ということ 

今回は「単身と家族の生活」という身近でミクロな世界を例に挙げましたが、これをもう少し広く「自分の人生の時間」という視点に置き換えて考えてみます。

もし仕事などの外部環境によって、自分のペースをまったくつかめない状態が長く続いてしまったらどうなるでしょうか。
きっと、「気づいたときには自分の人生があっという間に過ぎ去ってしまっていた」という感覚に陥ってしまうのではないかと想像します。

もちろん、労働収入を得るため、あるいは将来に向けた資産を積み上げるために仕事をすることは不可欠です。
しかし、仕事自体はあくまで目的を達成するための「手段」であって、人生の「目的」そのものではありません。

やりがいのある仕事に就くことは、興味のない仕事をするよりもずっと素晴らしいことです。
ですが、私が本当に目指したいのは「生きがいのある人生」そのものを送ることなのだと、改めて認識しておきたいと思います。

単身生活の静けさも、家族と過ごす賑やかな時間も、どちらも人生の貴重なひとコマです。
ただただ忙しく慌ただしく過ぎ去ってしまうものにするのではなく、自分にとって本当に価値のある時間や生きがいを、これからも少しずつ長く積み重ねていきたいと思います。

そしていつの日か、仕事からも解放された、自由な時間を謳歌する日を楽しみにしたいと思います。

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