基本的に、人が何かを考えるときには、多少なりとも偏りが発生するものだと考えています。
セミリタイアやFIREを考える場合でも、それは例外ではありません。
例えば、時間やお金の使い方、仕事への向き合い方、将来の考え方などは、以前とは変化してきているように感じます。
一方で、その変化がすべて良い方向なのかというと、そこまで単純でもない気もしています。
特に、資産形成を意識しすぎることで経験機会を逃していないか、仕事への向き合い方が極端になっていないか、子どもたちにどのような影響を与えるのかなど、ときどき少し立ち止まって考えておくべきだと思います。
今回は、FIREやセミリタイアを実行するべきかどうかではなく、「それを考えること」自体にどのようなメリットやデメリットがあるのかを、自分なりに整理してみます。
セミリタイアを考えることで得られるもの
まず、セミリタイアやFIREを考えることによって得られるものについて。
私の場合、最も大きいのは「選択肢を持てる」という点です。
今すぐ会社を辞めたいというわけではありませんが、「もし合わなくなったら別の道を選べるかもしれない」と考えられるだけでも、精神的な余裕はかなり変わるように感じています。
また、時間に対する考え方も以前とは少し変わりました。
自分の人生という長くも限られた時間を、「何に使いたいか」「どう使いたいか」を意識する場面が増えました。
この考え方は、私自身の死生観にとって、非常に親和性の高いものです。
お金に関しても、資産形成を考えるにあたって、社会の仕組みを理解しようとしたり、無駄を省いたり、最適解を探したりします。
その一つ一つが、自分の価値観や考え方の成長に繋がっているように思います。
セミリタイア思考によって生じるデメリットや偏り
一方で、セミリタイアやFIREを考えることで、考え方に偏りが生じる部分もあると思います。
例えば、仕事に対するモチベーションです。
セミリタイアを意識し始めると、仕事そのものに強いやりがいを求めるというより、「収入を得るための手段」として見る場面が増えていきます。
生活のために働くという考え方自体は自然なことです。
ただ、その意識が強くなりすぎると、仕事への熱量や成長意欲が下がっていく可能性もあります。
また、資産形成を重視しすぎることで、経験機会を逃すという意見もあります。
本来であれば、「今しかできない経験」にお金や時間を使う価値もあるはずですが、将来を優先しすぎることで、無意識にブレーキを掛けてしまう場面も考えられます。
さらに、セミリタイア思考を持つことで、一般的な競争や価値観から距離を置きやすくなる部分もあります。
出世や消費に対する優先順位が下がることで、社会との接点や熱量が薄くなりやすい面もあると思います。
子どもたちへの影響についても、まだ分からない部分があります。
親の価値観は、良くも悪くも少しずつ影響していくものです。
一般的な社会から見てマイノリティな生き方を選ぶ親の人生をみて、子どもたちがどう感じながら成長していくのかは未知数です。
自分でも気づかないうちに、考え方の重心が偏っていく可能性もあるということを、定期的に認識しておく必要はあると感じています。
私なりのバランスの取り方を考える
ここまで書いてきたように、セミリタイアやFIREを考えることには、メリットもあれば、デメリットとして考え方の偏りに繋がる部分もあると思っています。
そのため私の場合は、極端に寄りすぎないことをある程度意識しています。
例えば、セミリタイアの目標時期を50歳という比較的長いスパンで設定しているのも、その一つです。
もし短期間での達成だけを強く意識すると、資産形成を優先しすぎてしまい、今の生活や経験を必要以上に削ってしまう可能性があります。
無駄な支出を減らすことは大切だと思います。
ただ、それと同時に、「今しかできない経験」にお金や時間を使うこともまた、私だけでなく家族にとって重要だと考えています。
また、一般的な働き方も否定はしていません。
実際、日本では、FIREやセミリタイアを強く意識しなくても、働き続けながら人生を築いていける仕組みがあります。
それはそれで、一つの自然な生き方なのだと思います。
セミリタイア思考での選択肢、一般感覚での選択肢、その両方の選択肢を土台に挙げて、より良いものを選ぶよう意識しています。
自分にとってどの距離感が合っているのか。
その偏りを時々確認しながら、少しずつ調整していくことが大切なのだと思います。
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