子どもたちの進学については、私がセミリタイアをするかどうかとは別軸で考えるという方針です。
セミリタイアにともなう動きが、子どもの選択肢に影響を与えないようにするためです。
私の選択は、あくまで私のもの。
子どもたちの進路は、子どもたち自身のものだと思っています。
では、妻の動きについてはどうでしょうか。
妻の動きはどう考えるか
現在は、帰国後には妻も何らかの仕事をするという想定をしています。
ただしこれは確定事項ではなく、あくまで私個人の見立てにすぎません。
妻についても、子どもと同様に、私のセミリタイアとは切り離して考えたいと思っています。
私の計画に合わせてもらうのではなく、好きな道を選び、主体的に進んでもらいたいと考えています。
このブログを読んでくれている前提に立てば、多少なりとも影響を与えてしまう部分はあるかもしれません。
それでも基本的には、自由な人生を全うしてほしいと願っています。
そのことこそが、私にとっての幸せの最大化につながると考えているからです。
想定外は起こりうるのか
では、妻が私の想定を大きく外れた選択や行動をとる可能性はないのか、と改めて考えてみます。
もちろん、可能性で言えばどんなケースもゼロではありません。
何事においても「絶対」はないからです。
ただ、少なくとも私が選んだ人物として、突然ブランド物を買いあさるとか、働かずに豪遊を始めるといった極端な方向に進む可能性は、極めて低いと考えています。
価値観や金銭感覚については、これまでの時間の中である程度共有できているつもりです。
だからこそ、大きく逸脱する未来は、現実的には想像しにくいと感じています。
ある程度想定できる範囲、納得できる範囲での選択や行動であれば、私のセミリタイア計画にとっては何ら問題はありません。
セミリタイア計画の本質
想定内であれば、そのまま計画を進めるだけです。
仮に想定外の出来事が起きたとしても、働き方を変えたり、計画を調整すればよいだけの話だと思っています。
楽観的に映るかもしれません。
けれど、想定外を想定の内に入れられなければ、セミリタイアという選択そのものが成り立たないのではないでしょうか。
計画通りに進み過ぎる人生は、どこか面白みに欠けるものです。
多少の揺らぎや調整があってこそ、自分で選び続けている感覚が生まれます。
私のセミリタイア計画は、完成形へ一直線に向かうものではありません。
その時々の最善策を積み重ねていく過程そのものが、達成できるかどうかの検証であり、人生の充実であり、幸せの最大化なのだと考えています。
子どもたちにも妻にも、可能性と挑戦を忘れず、この先も自由に主体的に人生を楽しんでもらいたい。
その前提があってこその、私のセミリタイア計画です。
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