健康の大切さ | 50歳セミリタイアを志向する轍録(わだちろく)

健康の大切さ

考え方・背景

ここ数カ月、母が病気を患っていたようです。
最近の連絡で、無事に回復したとの知らせを受け、一安心しました。

近親者から病気の話を聞くと、健康について考えさせられます。

母の知らせを受けて思うこと

私は両親や兄弟と、普段ほとんど連絡を取れていません。
仲が悪いとか、連絡をしたくないというわけでは決してなく、単に誰かと連絡をするという習慣が壊滅的にないのです。
両親との近況報告は、ほとんど妻が行ってくれています。
客観的に見れば少し異常だという自覚はあります。

今回の件も、経過も含めて妻を通じて把握していました。
駐在中ということもあり、直接顔を合わせることはできません。
検査や治療の期間中はベッドで過ごすことも多かったようで、父も心配していたことだろうと想像します。

両親はいま60代前半で、父がようやく年金を受給し始める頃です。
第二の人生がこれからというタイミングでもあります。

そうした節目の時期に体調を崩すことがあると、健康とは思っている以上に不確実なものだと感じます。

計画よりも前にあるもの

どれだけ綿密にセミリタイアの計画を立てたとしても、それが計画通りに進んだとしても、健康な身体と精神が維持されていなければ、その意味は大きく薄れてしまいます。

同じ10年を生きるとしても、50代と60代では健康に対するリスクは確実に異なります。
未来の時間をお金で買うことはある程度可能かもしれませんが、過ぎた時間をお金で買い戻すことはできません。

健康でいられる時間には、限りがあります。
その限りある時間をどう使うのか。
それは、セミリタイアの計画以前に考えておくべき前提なのだと思います。

限りある時間をどう使うか

健康を維持するためには、特別なことをするよりも、日々の習慣が大切なのだと思います。
栄養のバランスを考えた食事をとることや、適度に体を動かすこと。
そうした行動を「努力」としてではなく、自然に続けられる形で身につけていくことが重要だと感じています。

もちろん、どれだけ健康的な生活をしていても、病気を完全に避けることはできません。
それでも、無理のない範囲でリスクを下げる努力は必要です。

健康的な時間を少しでも前倒しで確保するという意味では、セミリタイアもひとつの選択肢です。
同じ10年を生きるのであれば、より健康で動ける可能性の高い時期に、自分の時間を持つことには意味があります。

今日は長寿リスクについては一旦脇に置きます。
セミリタイア計画とは、限りある時間、つまり人生を、どのように労働や資産へと変換するのかを考える営みでもあります。
その前提にあるのが健康なのだということを、改めてここに記しておきたいと思います。

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