続・幸せの出発点 – 2026年現在の結論 – | 50歳セミリタイアを志向する轍録(わだちろく)

続・幸せの出発点 – 2026年現在の結論 –

考え方・背景

先日、「幸せの出発点は?」という記事の中で、誰かを幸せにしたいと願うとき「相手が先か、自分が先か」という問いについて触れました。


その際は少しふわっとしたまとめ方になってしまったのですが、先日、とあるクリエイターの1曲を聴いたことで、現段階における私の中の明確な結論が出ました。

私の心境を表に出すようで気恥ずかしさもあるのですが、言語化して記録しておきます。

心と考えを動かされた1曲

1曲の音楽で、ここまで心や考えが動かされるものなのかと、自分でも少し驚いています。

ここでは曲名などの詳細は伏せますが、その楽曲は、前半から中盤にかけて「子ども目線での親や友への感謝、そして別れの悲しみ」が描かれ、終盤には「親目線から子への想い」が歌い上げられる構成になっていました。

全体を通して深く考えさせられる曲だったのですが、特に終盤の「親パート」の歌詞が、今の私に2重の意味で強く刺さりました。

ひとつは、自分自身が「子を持つ親」だからこその共感。
そしてもうひとつは、それを「自分の親から自分へのメッセージ」として受け取ったときに、まるで自分に向けて言われているかのような、不思議な感覚を覚えたことでした。

親からのメッセージ、子としての共感 

私の意訳を多分に含みますが、その曲の歌詞から受け取ったメッセージは、どれも私の心に深く響くものでした。

まず、「存在そのものが大切なもの、だからそのままで良い」という歌詞。
これはかつて、自分の親から「自分たちのことは考えず、自由に生きてほしい」と実際に伝えられた記憶と重なりました。

また、「家族っていうのは会える保証、元気なうちは会えるでしょう?」という一節。
学生時代の友人などとは、今はほとんど会うことはありません。
しかし家族であれば、自然と会いに行こうと思える。
そんな気持ちを、言語化された気がしました。

さらに、「電話や手紙がなくても、元気ならそれでいい」という言葉。
それは普段、連絡をほとんどとらない私に対する、親の抱いている想いそのものであるように感じられました。

そして、「たとえ信じられなくても、どんな親もそう、帰ってくればいいんだよ、疲れたらいつでも」という一節を聴いたとき、小さな揺らぎを覚えました。

私は普段、親も自分も一人の独立した大人であり、良くも悪くも対等に関わるべきだと考えています。
基本的には親に頼らず、自分自身で何とかすることを大前提としています。
しかし、無意識に、どこか親のことを「最終的な心の拠り所」として思ってしまっていないだろうか――。
そんなことを、少しだけ考えさせられました。

幸福の出発点とのつながり:セミリタイア計画と「余裕」の同心円 

ここまでは、ただ曲の感想を述べるだけになっていますので、ここから「幸せの出発点」というテーマへ話を戻し、タイトルを回収しに行きたいと思います。

現在、私が進めているセミリタイア計画は、親の人生からは完全に独立したものとなっています。
私の中には、「親には親の人生があり、自分には自分の人生がある。それぞれが独立した大人として、自身の責任のもとで人生を全うすべきだ」という明確な前提があるからです。

誰か他の人のことまで背負おうとすると、その領域は自分のコントロール外となり、計画の不安定要素になってしまいます。
だからこそ、ある程度は割り切って考えています。

しかし、この姿勢を裏返してみれば、現状は他者のことまで考える「余裕がない」とも言えます。
自分自身、そして目の前の家庭の幸せに集中している状況においては、それ以外の広がりにまで手を伸ばし、フォローする余力は生まれません。

そして、この構造をもう一度ひっくり返してみると、一つの事実が見えてきます。

自分自身が満たされ、自分の家庭が幸せな状態にあり、そこにさらなる「余力」が生まれたとすれば、人はもう一段階広い範囲にいる人たちの幸せを願い、そちらへ向けて手を伸ばすことができるようになるのではないか、ということです。

こうした思考を経て、2026年現在、私の中で行き着いた結論は、やはり「幸せの出発点は自分にある」ということです。

まずは自分自身が幸せで、楽しく過ごすこと。
そこから溢れ出た余裕によって、自分の家庭(妻や子ども)が幸せになること。
そして、その家庭が確かな幸せで満たされ、さらに外側へと広がる余力が生まれたとき、初めて親や孫といった「もう一歩広い範囲の家族」の幸せを願い、支えることができる。

この内側から外側へと向かう、同心円状の順番があってこそ、幸せは嘘偽りなく、確実に伝播させていけるのだと思います。

自分の足元が覚束ないままでは、遠くの誰かに手を差し伸べることはできません。
一見すると自分を最優先にしているように見えても、これこそが持続可能で、関わる人すべてを包み込んでいける方法なのだと、今の私は考えています。

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